岡山県のYさん(30歳)に話を聞きました。
26歳の頃、2010年4月から1年間、愛知県田原市のトヨタで期間工として働いていました。
前やっていた仕事をやめざる得なくなり仕事を急いで探していたからです。独身だったので迷惑をかける人も少なくすむので期間従業員で構わないと思いました。
面接場所は岡山市内のホテルの会議室で集団面接でした。質問内容は、主に勤務時間がバラバラだが大丈夫か等聞かれました。印象としては面接で人数を絞るというかは一人でも多く残そうという姿勢だったように感じました。面接で心掛けたことは、とにかくマイナスになりそうな事を言わないように気をつけました。
仕事内容は自動車ライトを作る仕事でした。勤務シフトは6:25から15:05までの1直と16:00から24:40迄の2直の勤務が隔週が当初だったが、最後の数ヶ月は6:25から15:05、13:55から22:35、22:10から翌日6:50迄の連続3交代勤務になりました。工場の雰囲気はいろんなタイプの人がいたましたが、私の回りは明るい人が多かったです。
毎月の給与とは別に入社半月後に食費補助を貰い、最初の給与に赴任手当てがつき、在籍半年おきに在籍手当、契約満了時に慰労金が付きました。平均して月30万円くらいでした。
寮は一人部屋だが広さはあまりなかったワンルーム。冷暖房、テレビ、冷蔵庫は完備してあったので困ることはなかったが、勤務がキツくて仕事が終わって寝るだけって感じでした。生活に不便を感じることはなかったです。
最初の早番と遅番の交代勤務で体力的に厳しかったのだが、途中から時分の知らないところで3交代勤務に振り替えにされたことです。責任者に理由を問い質しても明快な答えをもらうことが出来なくて不信感が増して辞めるきっかけになりました。また最初の契約更新は三ヶ月だったので、三ヶ月でおしまいにならないようにしなければならないと思ったので最初は精神的にも疲れました。
世の中には色んな人がいて、すべての人に同じ接し方をしていてはダメだと言うことを知りました。これは期間従業員での仕事が終わったあと様々な場面で役に立っています。
色んなタイプの人がいて上司は大変だったと思います。しかも人が入れ替わりで同じ人は最長で3年迄しかいることが出来ないので仕事の内容を毎回伝えるのが疲れると言っていました。働いていた頃は仲良い人はいた。年上の人には毎回人生の愚痴ばかり言っていた気がします。笑
基本的には土日の連休でしたが、祝祭日は仕事だったので土日と祝日が重なるとショックでした。土日連休だった時は、名古屋に出て遊ぶことが多かったです。旅行に行ったりすることはなかったです。疲れていてそんなこと考える余裕がありませんでした。慣れた人は一泊二日で東京に行ったりしていました。
慣れるまでは仕事は大変かもしれません。ただ、普通に仕事をしているだけでは得られない経験を得ることができます。工場で働いている時には分からないかもしれませんが、時間がたつと期間工の経験は良かったと思える日が来るようになりました。
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