神奈川県にお住まいのSさん(46歳)に話を聞ききました。
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いすゞの期間工体験談
かなり昔の話になりますが、1996年3月~1997年3月、25〜26歳の頃にいすゞ自動車の藤沢工場で働いていました。
新卒で中堅自動車部品メーカーの事務職に就きましたが、仕事や人間関係になじめずクビ同然で辞めざるを得なくなったことと、前職で同じ事務職の人間よりも、現場の人たちと仲が良かったので、現場の仕事が楽しそうだと思ったからです。
当時の面接場所は、横浜ランドマークタワー内の小さいオフィスで行われました。
質問された内容で覚えているのは、「前職が事務職だったが体力的に大丈夫か」と「昼勤と夜勤の交替勤務があるが大丈夫か」の2点です。
そのころはバブルがはじけていた頃とはいえ、今に比べたらまだまだ仕事があり、あまり深いことは聞かれずに、あっさりとその場で採用が決まってしまったという印象でした。
心がけたことは、念のためスーツ着用で面接に臨んだことでした。大学時代に先輩から「面接を受けるときに、採用担当者は面接者の服装で人を判断するので、服装は自由でも、スーツを着てきた方がいい」と言われたのが理由です。
入社後、他の期間工の人に面接時の服装について聞いてみたところ、普段着で行った人がほとんどでした。現在は横浜での面接場所も、経費節減ということもあって、利用料がはるかに格安な横浜文化体育館の平沼記念レストハウスにて行われており、仕事もだいぶ少なくなってきている分、選考も厳しくなっておりますので、スーツで臨んだ方がよろしいかもしれません。
期間工の面接必勝法!質問内容と解答事例・服装・志望動機について
湘南台駅寄りの第4工場にて、当時同じくGM傘下であった、オペルの乗用車で使われるオートマチックトランスミッションのギア部品を、焼き入れ前の状態まで加工する作業をしていました。
労働時間・シフトについてですが、昼勤は8:15~17:00で休憩時間や昼休みを除き7.75時間が定時間、15分の休憩を挟んで1.75時間残業を行い、19:00に終業することがほとんどでしたが、金曜日は定時日と決められ、定時間で上がれることが多かったです。
夜勤は20:30~翌5:15までと、昼勤と同様の7.75時間が定時間ですが、駅まで向かうバスが朝5時台は走っておりませんので、15分の休憩後、0.75時間残業して6:15に仕事を終えていました。
上述の2直を1週間ごとの交替で行い、夜勤の場合は、基本的には月曜の夜から始まり、土曜日の朝に終わる「後夜勤」が普通ですが、連休前の場合は、日曜の夜から始まる「前夜勤」があり、その週は金曜の朝に終わり、土曜日からフルに連休に入れるよう配慮がなされていました。
工場は4つ建屋がある中で、比較的新しい建物ではありましたが、NC旋盤やブローチなどによる切削加工を行うため、油や切粉が出ますので、反対の直の人が気持ちよく使えるように、きれいに清掃するのが大変でした。
職場の人たちですが、いろいろな人たちが集まってきているため、ピンキリでした。
情の深く、大変親切な人もいれば、きつい人間、おかしな人間、いろいろな人がおり、いじめを受けることもありました。
20年以上前のことですので、かなりうろ覚えですが、休日出勤と連日の残業や夜勤手当もあるので、手取りでも24万円ぐらいはもらっていたかと思います。
実家もしくは寮暮らしの独身者でしたら、遊びながらも余裕で貯金できる額はもらっていたのは確かです。
当時は半年間の契約期間でしたが(現在は3ヶ月)、契約期間無事に働き終えると満期慰労金がもらえました。満期慰労金は、現在は21万円もらえるようですが、私が働いていた当時もそのぐらいの額はもらっていたかと思います。
期間工の給与(給料)・年収のリアルな数字まとめ トヨタ,デンソー,ホンダ,スバル,いすゞ,マツダの実例
過保護であった親と同居したくなかったので、二度目の半年間の契約の際に、入寮できるという話を聞いて迷わず入寮しました。私が入寮したのは、小田急線湘南台駅に最も近かった「東谷寮」という寮でした(現在はもう存在しない寮です)。
ずいぶん年季の入った、古くて大きな寮でしたが、駅に近いとあって、駅を利用したり、買い物をする際には、大変便利でした。現在の藤沢工場では、期間工も寮ではワンルームの部屋に一人で入居でき、完全個室となっておりますが、私が働いていたころは、2人1部屋が原則でした。
幸い私の場合、ルームメイトの方とは、良好な人間関係を構築できましたので、お互い話し相手になったり、ルームメイトの仲間の方とも友達関係が広がったり、時には一緒に酒を酌み交わしながら夢を語り合ったことなどもありました。
ただ、他に入居している寮生の中には、いろいろな人間がおり、礼儀節度を弁えないDQNや、頭のネジが飛んだような輩がいて、絡まれたり、因縁をつけられるなどの不愉快な目に遭うことも度々ありました。
現在の藤沢にある寮は、駅から近くはありませんが、ワンルームマンションみたいな雰囲気のようですので、不快な相手とは顔を合わせないようにできるかとは思います。
仕事がなかなか覚えられず、常に機械に煽られてばかりいたことです。
手順だけでなく、例えば刃具交換などでは、ちょっとしたコツがいるため、そのコツがいつまでたってもつかめず、ちゃんとした寸法を出せるように調整するのに、人一倍時間がかかっていました。
また一度に複数の機械を同時に見なければならず、同じ機械で何度も、もしくは複数の機械で同時にトラブルが発生することが頻繁にありました。
そういうときほど、うまくリカバリーできず、上司や先輩たちからも急かされたり罵倒されたりして、満足に生産数も上げられないときには、発狂寸前になることもありました。
自動車の各可動部には、決められた原位置があり、トラブルの復帰やメンテナンスの完了後、連続運転をする際には、全ての可動部を原位置に戻してから始めないと正しく動かないということを覚え、後々転職してからも役に立ちました。
また、「ただ言われたことをする」ことが仕事ではなく、「いかに自ら効率良く動き、より多く結果を出せるか」ということこそ、本当の仕事だということを、ここで初めて学びました。
私は仕事が要領よくできなかったため、一部の上司や同僚からいじめを受けることがありました。その点においては、精神的にもきつかったです。
しかし、かばってくれる人たちもいて、その中でも非常に面倒見の良い先輩方には、いつも飲みに誘っていただき、いろいろなことを教わり大変お世話になりました。
実家が神奈川県なので、土曜日、仕事が終わったら、電車で1時間ほどのところにある実家に戻りました。まだ20代で遊び盛りのころでしたので、地元の友人たちと食事したり、お酒を飲んだり、いろいろなところへ遊びに出かけたりしていました。
現場作業ということもあり、仕事をどれだけ体で覚えられるかで、どれだけ職場内で気に入られるかが決まってきます。
要領の悪い人間や仕事のできない人間は、やはりいじめられたり、除け者にされやすい一方で、いろいろな人間が集まってくるだけに、おかしな人間も沢山います。そうした人間が苦手な人は、勤まりにくいかもしれません。
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