いすゞで期間工として働いた経験のある神奈川県のKさん(42歳)に話を聞きました。
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いすゞの期間工体験談
1990年2月から12月までの約10ヶ月、神奈川県藤沢市のいすゞで期間工として働きました。
大学を卒業した後に就職したのですが、自らの世間知らずを痛感し、いったん自力で社会を見て回ろうと思い会社を辞めました。
その後はとにかくさまざまな職種のアルバイトを重ねていましたが、アルバイト情報誌を見て、日本の基幹産業である自動車会社の製造現場を経験したいと思い、応募しました。寮完備で、賃金もそこそこ良かったことも魅力的でした。
派遣会社の募集に応じて、藤沢市内のオフィスにて面接を受けました。オフィスの1画のテーブルで行われました。内容については覚えていませんが、一般的な確認のみで、特に変わった質問事項はなかったように思います。
自動車工場で働くということを、ひとつの社会経験、社会見学のように考えていたため、緊張もせずに受けに行きました。ただ握力検査と、テストとして簡単な部品の組み立てをその場でさせられたことに少し驚きました。
期間工の面接必勝法!質問内容と解答事例・服装・志望動機について
自動車工場の期間工の仕事というと、ラインに乗ってインパクトを使って部品を組み付けていく、というイメージがありましたが、実際の私の仕事は「部品の供給」でした。握力が弱いほうなので、強力なインパクトドライバーを使った作業に耐えられないと判断されたのかもしれません。
電動車を運転して、社員の指示に従ってラインの各部に部品を届けていくのですが、電動車の後ろに、部品を乗せた貨車を何両も連結して運んでゆくので、運転のコツをつかむまでは緊張しました。
工場は24時間稼働していましたので、週毎に昼勤と夜勤が入れ替わります。それぞれ実働8時間ほど、それに休憩を含めて拘束は9時間ほどだったと記憶しています。私に関しては残業は一度も発生しませんでした。
休憩時間は、食事休憩時は社員食堂に向かいますが、途中10分ほどの小休憩のときは、工場内に停めた自分の電動車に座って自販機で買ったコーヒーを飲むか、工場内を見学していました。
最初は担当部署の狭い詰所で過ごしていたのですが、社員さんたちのコミュニティのそばでちじこまっていても、休憩した気にならないので、同部署の他の期間工のおじさんにならい、そのようなスタイルになりました。
入寮してはいましたが、基本実家住まいで、実家に最低限の生活費(3万円)を入れ、お小遣いも出て、海外航空券を買うための貯金もできたので、当時の身分としては申し分のない額をいただいていました。ただ実際生活するとなると、そんなに呑気なことことは言っていられなかったかもしれません。
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今は個室が当たり前らしいですが、私が働いた当時の寮は相部屋で、12畳ほどの大きな和室を2人で使っていました。それぞれ布団を敷いて、布団の周りに身の回りのものを置いていました。貴重品はロッカーの中に入れていました。
プライバシーも何もあったものではないのですが、実際には同部屋の人間とは、昼勤・夜勤の順番が違ったので、事実上の個室で、むしろ寂しいくらいでした。
寮の食堂は1食ごとにいくら、と給料から差し引かれるのですが、量も多くはなく(おかわりにも追加料金がかかっていました)、内容もあまり良くありませんでした。
寮の場所が米軍厚木基地の近くで、ジェット戦闘機が低空で行き交い、防音サッシでもなかった当時の寮は、それはそれはうるさかったです。
ただ慣れとは怖いもので、そんな中でも平気で昼寝している自分がいました。退寮するときは、管理人のおばさんに、「掃除がなってなかったら承知しないからね」とにやにやしながら言われたのも良い思い出です。
比較的温暖な湘南地方の工場ではあったものの、厳冬期ゆえ寒さがこたえました。また夜勤時は明け方近くは眠気との格闘でした。特に部品供給の仕事の場合、待機時間があったりするのでなおさら睡魔との格闘が必要でした。
ラインに乗っていた人の話では、作業の仕方、部品の扱いについて、相当きびしく言われたこともあったそうです。
サラリーマン時は営業職だったので、勤務時間という観念が希薄でしたが、工場では出勤、作業開始、休憩、作業終了、退勤とすべてが時間通りに進みます。また社員らによる労働組合の集会など、私にとってはかなり珍しい光景も見ることができました。サラリーマン時代とは全く違う世界を覗き見られてよかったと思っています。
短期ということもあり、同僚というほどの関係はできませんでしたが、同日入寮の同年代の数人とは、たまに飲みにいくことがありました。
工場の他の期間工や、社員さんたちも、事務的ながらも丁寧に仕事の指導をしていただきました。
実家に戻ることが多かったのですが、面倒くさいと寮で一日寝て過ごしていました。たまに同日入寮の「同期」たちと飲みに行くことがありました。登山が趣味なので、たまに丹沢方面を攻めていました。
長期の方や、この仕事で食っていくというような方には、私からはとてもアドバイスできることはありませんが、私のような短期で社会経験的に興味があるという方には、ぜひともお勧めしたい仕事だと思います。
高品質で知られる日本の製造業の現場では、どのようなシビアな仕事がされているのかを目の当たりにするには良い機会です。特に若い方で、将来製造業と関わりの少ない分野に進もうとされていらっしゃる方には、視野を広げるためにぜひ経験していただきたいです。
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